2013年3月1日金曜日

西公園に子どもたちを放つ


 西公園のことを市役所に聞きにいったら、「いまは、市民から木を伐ってくれ、落ち葉がじゃまだという苦情が多くてね」という話を聞かされた。私は、杜の都のお寒い現実を感じているので、ため息が出る。「杜の都仙台」を標榜していたって、もはや市民の多くは木が嫌いなのだ。たぶん。厄介者扱いされる樹木。かわいそうに。

 西公園の緑、そしてその崖の下に流れる広瀬川を愛し、最大限に活用している人はいないかな、と考えて、すぐ関口怜子さんが浮かんだ。関口さんは、西公園の真ん前で、子どものための美術教室を開いている。美術といっても、子どもたちを西公園に放って、土に触れ、葉っぱを拾い、幹を見上げて、そこからみずからの体で発見したものを描くという教室だ。
西公園の木々を眺めながら話す関口怜子さん

 久しぶりにうかがうと、公園に向かって開かれた窓の前で、相変わらず元気なハリのある顔で関口さんはいった。「うちの教室は公園がなかったらやっていけないのよ。庭のようなものね」
 子どもたちが描いた樹木を見せていただく。一本の木を描く子、寄りそうに立つ木を描く子…それぞれ違っているのがいい。
暖かい日だったが、遊具で遊ぶ姿はない
 
木の下にはまだこんなに雪が残る

 西公園にはまだ雪が残っていた。でも、どこかおだやかな陽射しに、春が近いことを感じる。南端の「殉職消防組員招魂碑」まで歩いていくと、いたいた猫さんたちが眠そうに落ち葉の中にうずくまっている。12月末にきたとき出会ったサビ猫と白猫もいる。このきびしい冬を越せてよかったね、と声をかける。でもあの日、物語を紡ぎだすようにあらわれた、グレイの縞猫がいない。ちょっと気がかり。

落ち葉で惰眠をむさぼる猫さん
               

12月22日 西公園で出会った猫さん


 みるみる日は過ぎる。このブログもずいぶんと休んでしまいました。気が付けば冬が過ぎ、また芽吹きの季節がめぐってこようとしている。

 「広瀬川の記憶」。小野幹さんが焼いてくださった写真の中に、西公園を写したものがあった。撮影は昭和52年。すでに何度か取材してきた西公園だけれど、今回の写真には、植木市らしき出店が写っている。27回目のテーマ写真にしてみようか、樹木をテーマに何か書けるかもしれないな、と考え、公園を歩いてみたのは12月22日のことだった。
 夕方、ページェントでにぎわう定禅寺通をかすめ西公園に入ると、コンテナやイルミネーションの準備がなされてイベント会場の雰囲気はあるものの、閑散として店の人たちの姿があるだけ。静かだった。
 公園は、最後の紅葉が散る直前。地面は赤く染まり、ところどころには緑の草も残って寒々しい風景にはなっていない。市民図書館として使われていた建物がすっぽり姿を消しているのを確かめた。図書館の前にあった池のまわりを歩いてみる。西公園は3つの大きな武家屋敷を整備してつくられた公園だけれど、この庭はだれの屋敷のものだったのだろう。
 南端に「殉職消防組員招魂碑」と刻まれた大きな石碑が立っている。“消防”という文字を見ると、反射的に、この大震災で住民の避難誘導のために命を落とした人たちのことが胸に浮かぶ。私自身は震災で直接的な被害を受けたわけではないのに、やっぱり何かを負わされているような感覚がある。

旧市民図書館前にある庭。池の跡を歩く。

どこからかあらわれた猫さん
                    
友だち同士で公園をお散歩

 と、グレイの縞がきれいな猫さんが現れた。近づいても逃げない。ゆっくりと川岸を歩いて行くので付いていくと、どこからかサビ猫が出てきて2匹であいさつを交わしている。おや、友だち同士なんだろうか。1匹の猫が二匹になったとたん、そこに物語が生まれる。不思議だ。
 友だちなのか、兄弟なのか、恋人なのか…
そんなことを想像していると、かんじんの
取材はどこかに行ってしまった。

 そこへ、もう一匹、今度は白猫。3匹になると関係はますます複雑になる。物語はこうやって生まれて一人歩きを始めるのだろう。
 
やがて3匹の猫たちは、それぞれの気にいった場所でうずくまった。最初の猫は切り株の上を自分の場所と定めたらしく、沈む陽を見上げている。猫の公園の使い方。

切り株をベンチにしてひと休み