西公園のことを市役所に聞きにいったら、「いまは、市民から木を伐ってくれ、落ち葉がじゃまだという苦情が多くてね」という話を聞かされた。私は、杜の都のお寒い現実を感じているので、ため息が出る。「杜の都仙台」を標榜していたって、もはや市民の多くは木が嫌いなのだ。たぶん。厄介者扱いされる樹木。かわいそうに。
西公園の緑、そしてその崖の下に流れる広瀬川を愛し、最大限に活用している人はいないかな、と考えて、すぐ関口怜子さんが浮かんだ。関口さんは、西公園の真ん前で、子どものための美術教室を開いている。美術といっても、子どもたちを西公園に放って、土に触れ、葉っぱを拾い、幹を見上げて、そこからみずからの体で発見したものを描くという教室だ。
西公園の木々を眺めながら話す関口怜子さん |
久しぶりにうかがうと、公園に向かって開かれた窓の前で、相変わらず元気なハリのある顔で関口さんはいった。「うちの教室は公園がなかったらやっていけないのよ。庭のようなものね」
子どもたちが描いた樹木を見せていただく。一本の木を描く子、寄りそうに立つ木を描く子…それぞれ違っているのがいい。
暖かい日だったが、遊具で遊ぶ姿はない |
木の下にはまだこんなに雪が残る |
西公園にはまだ雪が残っていた。でも、どこかおだやかな陽射しに、春が近いことを感じる。南端の「殉職消防組員招魂碑」まで歩いていくと、いたいた猫さんたちが眠そうに落ち葉の中にうずくまっている。12月末にきたとき出会ったサビ猫と白猫もいる。このきびしい冬を越せてよかったね、と声をかける。でもあの日、物語を紡ぎだすようにあらわれた、グレイの縞猫がいない。ちょっと気がかり。
落ち葉で惰眠をむさぼる猫さん |